破壊された社会と心 後編〜ピンチをピンチと認識するために〜
こんにちは。Roof SAです。
今回は一月万冊で、9/19に配信された動画を紹介します。
安冨さんと映画「れいわ一揆」の監督である原田さんとのやりとりを清水さんが紹介しています。
安冨さんは原田さんとの「母親の教育が安冨さんの少年時代にどのような影響を与えたか」という会話のやりとりの中で「母親という高性能な家事育児マシーンに育てられた」とおっしゃいました。
同時に「ほとんどの母親は家事育児マシーンになっている」とも指摘され、その性能が高ければ高いほど、子供は良い大学や良い会社に入りやすくなります。
しかし、性能が高ければ高いほど、教育のプロセスの中で愛情は欠落していき、その子供の人格や価値観に大きな影響を及ぼします。
実際、安冨さんの人生もその影響を受けた事で、途中問題が生じたようです。
本来、人間は大人になっても愛情や安心を無意識のうちに求めてしまうものではないでしょうか。
愛情を十分に受けた人間は他人から何か奪ったり、傷つけたりしようとはなりにくいと思います。
逆に愛情が不十分な人間が、会ったことも話したこともない人を平気で誹謗中傷するようになり、それは子供時代に受けた教育の反動であると清水さんは分析されます。
本当は全ての親が子供にに愛情を注ぎたいはずです。
しかし、学校に行きたくないという子に寄り添い、不登校になることを認めてあげられる親は少ないのではないでしょうか。
高卒と大卒では生涯賃金に1億円以上の差がつくという現代社会の身分制度の中で、無理矢理にでも学校へ行かせようとし、親も子もそれを愛情だと勘違いしてしまいます。
7歳からたった十数年で将来が決まってしまう、身分制度はどう考えてもおかしいです。
しかし、その身分制度によって「あなたの将来ため」と思う事が愛情であるとされてしまい、その教育が子供の心に「不安」や「恐怖」といった穴を開けてしまいます。
結果、大人になってから誹謗中傷や暴力などの行為に繋がり、本人は世のため人のためと思ってやってしまいます。
これは親や子、学校の先生などの個人ではなく、社会構造そのものに問題があると言わざるを得ません。
言うまでもありませんが、現代はコロナウイルスによって我々人類は経済的、精神的、身体的なピンチが訪れています。
大不況という大ピンチがやって来ると分かっていても、
我慢して、耐えて、頑張って切り抜けようとしていませんか。
だとしたらピンチをピンチと認識出来ていない可能性があるため、大変危険です。
例えば「いじめられてるから学校へ行きたくない」という状況だったとします。
ところがそれを親に相談したところ「頑張って学校へ行く事があなたのためである」と言われ、無理矢理にでも学校へ行っていませんでしたか。
これを今の状況に当てはめると、大不況が迫っているにも関わらず、「頑張って仕事をしなさい、それがあなたのため」と言われているようなものです。
頑張って仕事をすれば大不況やコロナが去ってくれるなら、誰も苦労しませんよね。
清水さんは少年時代、回りに不登校を認めてくれる大人がいたからこそ、ピンチをピンチと認識して逃げる事を学んだそうです。
実際、このコロナ禍でも1月頃にピンチが来ると判断し、本業のビジネスをYouTubeやzoomを活用したものへ切り替え、状況に対応されています。
無理矢理学校へ行かされるとピンチを認識できなくなってしまいます。
嫌なものは嫌と判断し、時には逃げることも必要です。
その先に新たな未来が待っているかもしれません。
当然、全部が全部逃げればいいという事ではありませんが、まずは身近な人に少し嫌な事を嫌と伝えてみるところから始めてみましょう。
そうする事で、ピンチをピンチと認識出来るようになり、このコロナ禍でも適切な状況判断が出来るようになるかもしれません。