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池袋暴走事故で報道されない自動車会社と広告代理店とメディア

こんにちは。Roof SAです。

今回は一月万冊で10/10に配信された動画を紹介します。

清水さんが作家の本間龍さんと、メディアによるスポンサーへの忖度がもたらす日本社会への影響についてお話しされています。

10/8 池袋の路上でトヨタプリウスを走行中、二人を跳ねて死亡させた飯塚被告の初公判が行われたと各メディアが一斉に報道しました。

しかし、朝日、読売、日経などの大手新聞社は「トヨタ」「プリウス」といったワードをいっさい書いておらず、飯塚被告の主張するブレーキ異常の可能性を追及すべきといった論調にもなっていません。

大変痛ましい事故ではありますが、日本が法治国家であるならば、飯塚被告を裁けるのは法のみであり、現状では飯塚被告は推定無罪です。

ところが、世間の反応は「無罪主張とは往生際が悪過ぎる」「日本国民として飯塚を絶対許してはいけない」「執行猶予などあり得ない」など法治国家とは思えない感情的かつ個人的な論調が飛び交っています。

これではメディア、スポンサーの思惑通り誘導され、真実からは遠のいていきます。

メディアはスポンサー企業が支払う広告費によって成り立っています。

今回のような社会的関心の高い事故の際、どの会社のどの車種が使われていたかを大々的に報じてしまうと、会社の信用、車の売れ行きに影響するため、メディアによるスポンサー企業への忖度が発生します。

トヨタ」「プリウス」といった固有名詞を出さないのはそのためです。

今やネット社会によってそれらを隠し通す事は不可能ですが、車に異常はなかったという事実を優先的に報じる事で、車ではなく運転者に問題があるという方向へ世論を誘導することが出来ます。

実際、本間さんが博報堂社員時代にも、スポンサー企業の日産車による事故が報道された際、エンブレムを写さないようにと報道機関へ依頼する事があったようです。

30年以上前から、このような忖度、配慮は確立されていたのです。

今回の初公判では、検察側から「車は定期点検に出ており、ブレーキやアクセルに異常はなく、アクセルを踏み込んだデータは残っているが、ブレーキを踏み込んだデータは残っていなかった」との主張があったそうです。

飯塚被告がそれに対抗するには、自身の「ブレーキが効かなかった」という主張を裏付けるデータが必要となり、全額自己負担によって、トヨタに対しプリウスの性能情報開示請求を行い、第三者機関にチェックさせた上で、性能上の過失を証明しなくてはならない状況にあります。

2年前の2018年には、元東京地検特捜部の部長の運転するレクサスが通行人を跳ねて死亡させた事故が発生しました。

この時も「トヨタ」や「レクサス」などの固有名詞は出さず、運転者の異常を報じるメディアがほとんどでした。

しかし、弁護団がリコール専門の独立行政法人に調査を依頼し、ブレーキの不具合を立証した結果、禁錮3年という判決が下りました。

日本においては、推定無罪の原則を忘れてはなりません。

二人の尊い命が失われ、飯塚被告の無神経な主張や逮捕しない警察に対して感情的な気持ちになってしまう事は理解出来ますが、前述のレクサス事故の件もあるため、現段階では冷静になるべきです。

今回の件だけでなく、メディアによるスポンサーへの忖度によって、自身の感情を誘導されていないか?という事を一度考えてみましょう。

原発はかつて、安全・安心であるとされていました。

原発の安全性を印象付けるためのテレビCMに数多くの有名人を起用し、そこには大量の広告費が投入されました。

我々の「印象」は、スポンサーや広告代理店、メディアによって、いともたやすくお金に換えられている事を認識しましょう。

原発のように、印象付けされた国民は、有事が起きてからでないとその事実に着目する事はなく、真っ先に被害を受ける対象となってしまいます。

ニュースを見る際は、このような背景を常に念頭においておきましょう。