弱いものいじめ構造が分かる伊藤健太郎さんと伊藤詩織さんの報道の差
こんにちは。Roof SAです。
今回は一月万冊で11/3に配信された動画を紹介します。
清水さんが作家の今一生さんと、政府による国民参加型の弱い者いじめの構造についてお話しされています。
11/1 毎日新聞は、伊藤詩織さんが「虚偽告訴」「名誉毀損」?「書類送検」報道を考えるという記事を書いており、書類送検について詳しく説明されています。
記事の中で「書類送検はニュースになるほどではない」などのコメントを紹介していますが、伊藤健太郎さんの時はなぜそれを報道しないのでしょう?
伊藤健太郎さんの時はひたすら捜査関係者の話を紹介しているだけで、まだ「書類送検されただけ」や「ひき逃げの疑い」段階である事を書いた記事は見当たりません。
伊藤詩織さんには裁判を起こされる可能性があり、伊藤健太郎さんにはそれがないからでしょうか?
伊藤詩織さんは擁護した方がPVが上がり、伊藤健太郎さんは叩いた方がPVが上がる構造になっていますが、これはただの弱い者いじめです。
メディアはこれが正しいと思っているのでしょうか?
もしそうなら、やっている事はネットの誹謗中傷と何ら変わりありません。
不確定な事実に対し、寄ってたかって特定の個人を叩き、いじめる。
本来であれば、メディアは誹謗中傷に対して裁判を起こす権利を伊藤健太郎さんを含む、我々国民が所有していると報道し、それを抑制させるべきです。
それどころか誹謗中傷を促すような記事を書き、弱い者いじめを助長しています。
このようなメディアに誘導されないためにも我々は、事実は当事者にしか分からないという事を認識した上で、分からないという事に対してもっと謙虚になるべきです。
そうでなければメディアの誘導に乗っかり、叩いて良いという空気感を作りかねません。
我々がメディアの誘導に乗っかってしまえば、メディアを制圧する権力の思う壺です。
日本では菅首相が最高権力者ですが、その菅首相がメディアを使って国民を誘導する事で、どんなに不条理な出来事であっても、菅首相が叩いた事に賛同させられてしまう可能性すらあります。
本来民主主義国家であれば、主権者マインドがあり、間違っているものに間違ってると言えるはずなのです。
しかし日本の学校教育では、学校や教師という権力に生徒が平伏すものと教えられるため、主権者マインドや自尊心は破壊されてしまいます。
もはや学校の役割は、権力にとって好都合な、我慢の耐性を作る場所となっています。
そしてそれは子供のためではなく、国家や権力者のためのものです。
子供の頃から自尊心を破壊されると、誹謗する側になってしまう上に主権者マインドを持っていないため、政府が進める発信者情報開示請求に対して「匿名の権利を守れ」などという声も出て来なくなります。
そうしてる間に、総務省の分科会は月二回行われ、法整備はどんどん進んでいます。
メディアを統治する菅内閣の権力は増す一方であり、メディアの誘導に乗っかる事は、それを助長させる行為です。
もう権力による、弱い者いじめに加担するのは止めましょう。
そうためにも、新聞やテレビは見ない、あるいは彼らの発信する情報には常に疑いを持つ事が重要です。